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余命10年の小説と映画の違いは?最後のシーンの意味についても解説!

余命10年の小説と映画の違いは?最後のシーンの意味についても解説! 映画・金曜ロード
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2023年10月20日の金曜ロードショーでは映画「余命10年」が放送されます。

原作「余命10年」は累計発行部数を65万部を突破したベストセラー恋愛小説です。

ネット上には「小説と映画では違いがある」といった声や「最後のシーンの意味は?」といった疑問を持った声が多く投稿されていました。

そこで今回は「余命10年の小説と映画の違いは?最後のシーンの意味についても解説!」についてお伝えしていきます。

ぜひ最後までご覧ください。

 

余命10年の小説と映画の違いは?

映画「余命10」の小説との違いをご紹介いたします。

 

余命10年の小説のあらすじ

数万人に一人という不治の病にかかった20歳の茉莉(まつり)は、余命10年であることを知ります。

余命10年の自分が笑顔でいることで、周りを追い詰めないようにと思いやったり、新しいことを始めてもこころざし半ばで諦めざる追えないそんな日々を送る茉莉は、未来に諦め徐々に死に対する恐怖は薄れ、毎日を淡々と過ごします。

そんななか、なんとなくで始めた趣味に熱を注ぎ「恋はしない」と心に決めたはずの茉莉でしたが、小学生の時の同窓会で、同窓生の和人と出会い、和人にどんどん惹かれていきますが・・・。

 

余命10年の映画のあらすじ

数万人に一人という不治の病かかった20歳の茉莉は、自らの余命が10年であることを知ります。

死は避けられない、必ず未来に死が待ち受けていることを受け入れるために「もう恋はしない」と誓います。

そんなある日、同窓会で再会した同窓生の男に心惹かれていき、彼とは会うべきではないと思いながらも、距離が縮まることに喜びを感じ始めていく茉莉、彼女は最後の日までどんな思いで日々を過ごしていくのか・・・。

 

余命10年の最後のシーンの意味とは?

本作のラストシーンは、和人がひとり桜並木を歩いているときに過去に茉莉と2人で桜並木を歩いたことを思い出すというものです。

茉莉の人生の最後のシーンは、映画でははっきりとは描かれていませんが、原作と同じように余命を迎えたという見解が正しいでしょう。

「生きる」ことに消極的な和人でしたが、茉莉との距離が縮まってきた頃、自殺未遂を図り茉莉に怒られてしまいます。

その帰り道、茉莉と2人で歩いて見た桜並木がこのラストシーンで思い出されるシーンなのです。

生きる」ことに消極的な今までの和人であれば、茉莉がいない世界で生き続けるのは苦しく辛いものといった考えだったでしょうが、余命間近でも「生きる」ことに真剣に向き合い、自分の死を持って多くのひとに「生きる」ことと「」がどういうものかを伝えた茉莉の姿を近くで見ていた和人は、茉莉がいない世界でも「茉莉が生きた証」は自分の中で思い出となり自分が生きている限り、生き続けていくものである。

和人は、茉莉との思い出を胸に新たな人生を歩み始めるのでした。

 

余命10年の小説と映画の違いのまとめ

今回は「余命10年の小説と映画の違いは?最後のシーンの意味についても解説!」についてお伝えしていきました。

映画「余命10年」と原作小説「余命10年」では細かい設定の違いなどはあるようです。

しかし、登場人物の名前などに違いはありません。

映画と小説、どちらもそれぞれに良さがありどちらも好きだという根強いファンも存在するほどです。

最後のシーンでは、和人茉莉との思い出を胸に新しい人生を歩み始めるといったポジティブな意味が込められていました。

タイトルから想像すると、余命物の悲しいだけの映画かと思いがちですが本作は「生きる」ことにスポットを当て、観た人・読んだ人にいつか必ず訪れる「」をどう受け入れるか、生き続けるうえで改めて考えるきっかけになると思います。

2023年10月20日の金曜ロードショーでの放送が楽しみですね♪

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